2019/09/15

「はながたつつみ」?

フレーベルを知る前に

 先日実に久しぶりに、古い著作の掲載作品につき、読者から問い合わせがありました。それは、「おりがみ むしとはな 有紀書房 昭和45年(1970)刊」の中に紹介していた「はながたつつみ」についてのものでした。

「はながたつつみ」?…?…?

 はるか昔に書いたこの本は、…正直な話をすれば、結婚し独立して生活を始めた頃の作業で、折り図はもちろん、表紙の絵から作品写真まで自分で撮ったもので、まるまる一冊でいくら、として売り渡したものでした。(要するに、当時まだ駆出しの私には、交渉力も契約に関する知識も乏しかったのです。)

 ともかくこのようなスタイルで、…まあ、2、3ヶ月に1冊書けば、生活が成り立つかも知れないと考えて始めたわけです。

 そしてそんなスタイルでの生活が、数年続けられました。そこで、いつも「今度はどんなテーマで?」というような次のプランに思考は向けられていました。

 かくて、結局10余冊の非印税出版を続けました。でも、とにかく(本好き人間)とて、売り渡しであってもそれなりに楽しんで作業したことです。それに大事なことは、本は(記録)として残るわけですし、そして今回のように、何十年経っても読者と繋がっていられるということです。
(なお、著述を職業と決めるその前に、久保書店、日貿出版の2社は、お願いするまでもなく、きっちりと印税契約をしてくれました。)

 しかし、やがて気持ちにも少し意欲が出たところから、私なりの(おりがみ理念)もはっきりと主張すべく、そのためには責任も明確にとて、結構ハードな交渉をしなければならない場合もあったものの、ともかく決心してからは、印税契約の作業だけをするようになったのです。

 ともあれそんな経緯のため、心理において、売り渡して刊行されたもののことは、だんだんと記憶は薄れ、そして…今回のように問い合わせがあったときにやっと見直します。

 だからこの著書を見るのは、何十年か振りでした。そして開いてみて、懐かしい思い出が思い出されたのですが、なんとそこには、内山光弘さんの「花紋折り」のことを記しており、それに倣うような気持ちからでしょうか、「はながたつつみ」などと名付けた私なりの「畳紙(たとうがみ)スタイルの作例」を紹介していたのです。 でも本当に記憶から消えていたものなんですよ。

 さてそんな経緯で思い出した「花形包み(はながたつつみ)」ですが、改めて見るに、かなり拙い思案のものでした。
 そして今にしてじっくりと思い返せば、この頃の私はフレーベルの「美麗式(Beautiful System)」のことは、よく知らなかったか、あるいはまったく興味が無かったかのように思っています。

 私が「美麗式」に関心を持ったのは、昭和60年(1985)の頃、かつて小学校の校長をなさっておられ、そのご経歴から独自におりがみ史を調べておられた林正之(はやし まさゆき)先生のお声がかりで、玉川学園教育博物館との繋がりが生まれたとき、フレーベルのことをいろいろと学ぶ機会が訪れました。
 そして、(おりがみ実技)の中心に在るのが「美麗式」だと知ったことによります。

 で、すぐに「最新折り紙小百科 日本文芸社 昭和63年(1988)刊」に、新しく知った(62点)の「美麗式」を紹介しました。
 そしてこの頃、上記博物館でもご一緒していた高濱利惠さんも、時を同じくしてこれを紹介するご著書を刊行なさいました。正に切磋琢磨(せっさたくま)する同志でした!

 まあかくのごとくにて、私の(パターンおりがみ)の最初の、わずか11点の作業「花形包み」に(拙過ぎる)ものを外し、現在の視点にて付け足したもので(20点)とし、写真紹介します。

 このような造形変化は、正にフレーベルが「美麗式」に込めた理念通り、(“1折り”の違いが、大きくイメージの異なるパターンとなり、こどもにも“くふうの喜びの実際”を味わわせる!)でして、容易に、楽しく、どんどんと増やして行けるものなんです。

11種のパターンだけのものから、20種
に拡大してみました。これらは全部「入れ物」
になっています。つまり「花形包み」です。 
  なおこの折り方には(左回り)と(右回り) 
 がパターンの違いを生み、それがまた楽しい! 
                 
 





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