私の母は10人兄姉の末ということを前に明かしました。
その母の一番上の姉さんの伴侶は、小平雪人(こだいら せつじん)という著名な歌人でした。
明治天皇に進講したほどの人だったとか。
もち、末っ子のそのまた末っ子の私には、顔も知らず、生まれた時ご存命だったかも知らず、具体的な思い出などはありません。
でもその雪人の句の一つは、信州諏訪湖畔に歌碑として残されていると教えられて、昔しっかりと目にして来ました。
「五月雨や 大龍現ず 諏訪の湖(さみだれや たいりゅうげんず すわのうみ)」と刻まれていました。
私には、スケールの大きい立派な句だと思えました。この著名な歌人の存在があってか、母を始め親戚には文学好きも多かった様子。
さて私が小学生だった頃です。その頃は東京中野区の野方(のがた)という所に住んでいました。そこから歩いて小一時間行った所に、新井薬師というお寺が在りました。お小遣いを持ってそこの縁日に行くのが、少年時代の楽しみの一つでした。
そんな縁日の出店の(金魚すくい)で取って来た数匹の金魚を、鉢に入れてじっと見ているところに母が言いました。
『親戚のダレソレが詠んだ歌だけれど、こんなのがあるよ。”金魚らは 何楽しみに生きるかと、ふと思もほえて、寂しかりかり。”と言うんだけど、どう思う?』それになんと答えたか記憶はありませんが、「素直な心での歌」と思い(50人超の従兄弟)が居たことを思い返しています。(雪人ではなかった?)
でも今でもはっきりと覚えているということは、強い印象があったのだと思います。しかし今はそのお名前を忘れてしまった方の心理に、少し(上から目線)を感じる私が居ります。
だって、他の生命の存在理由など分かろう筈もないではありませんか?
今、新型コロナウィルスという、生命なのかも分からない、細菌よりずっと小さくて、光学顕微鏡では見ることが出来ないほど極小の存在に、地球上の人間は拘束され翻弄されています。
ではこのウィルスが、次から次へと感染を広げているが、その(存在目的)って、一体何なのだろう?
金魚なら、食べ、排泄し(そう、金魚の”うんこ”ね)、体を異性の目に魅力的にし、そして子孫を残す、…まあ、今現在の私には、親戚のどなたかと違って、金魚の生きる喜びはそれなりに分かる気がする。でもウィルスって、何かを食べるでもなし、交尾するでもなし、生命の細胞内でしか動けず、それに侵入することで、ただただ(遺伝子のコピー)をするだけ!
「ウィルスは、何楽しみに…?」 そもそもウイルスのエネルギー源って、何だろう?
ヒトって、ただ一種の存在なのに、ウィルスって、とてつもない数の種類があって、しかも生命誕生のかなり前から存在していたらしい!?…テレビの(ウイルス特集)の解説を聴いているうちに、これは「地球上の生物のバランスを調整する(?)もので、ひょっとすると(”神か悪魔の助手?”的な存在)なのか? なんて妄想してしまった。
もう一つ、生かじりの知識ですが、( ニュート リノ)という、質量をほとんど持たないと言われている物質が、星の生死から発生して、宇宙に無数に飛び交っているのだとか! 地球だろうと我々の体だろうと、スイスイと通過する!? これって、その存在意味の分からないことで、どこかウィルスに似てない!?
まあどうでもいいでしょう。そんなことの真相を知ったところで、我が人生になんの影響もない。…でも、知ることが出来たら、そりゃ楽しいでしょうね。
そう!藤田先生(Prof.Hujita Humiaki)の教え、「知るだけで良し=Good Only Know.」。
* 自粛自粛で、休んでいたら、また少々蛮勇が出て来たようで、ブログ再開してみました。ネタがどれほど見付かるか分かりませんが、のんびりとやることにします。おっと気になっていた「昔、始まりの物語 第2部」待っている人など居られないでしょうが、自分のためにいずれ始めます。ああそれから、自粛の(粛)の字の、書き順分かりますか? それって、まるで(パズル)ですよ。
これは今後が楽しみです。ちょくちょくコッソリお邪魔して、足跡残して帰ります。
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